2017年7月3日
「月刊久保有政」第1回
着々と夢源樹の月刊シリーズが増えてきてます。
■夢源樹月刊シリーズはこちら
http://mugenju.com/content/
各コンテンツごとに、個性的な先生方たちばかりですので
勝手にそれぞれの色がついているのですが
「月刊久保有政」の他のコンテンツとは異なる
最大の特徴といったら
なんと、毎回「公開収録」を開催!
しかも「月刊久保有政」会員以外の方も
「公開収録」には参加可能という太っ腹コンテンツ。
■月刊久保有政
http://mugenju.com/event/?id=3473
先日、第一回目の「公開収録」を終えたのですが
事前に久保先生からいただいたレジュメに目を通していると
あの方を彷彿とさせるなあ
あの方のお話と同じなのかしら―――
かぶっちゃうんじゃないの
ということが
実は何度か何度も頭をよぎってました。
で、いざ当日を迎え
久保先生の講義を聞いていると
やはり全然違いますね。
話の展開や持っていき方、進め方
落ち着きどころに終着地点
先生の見ているところと大切にしているところで
こうも違うのかと
レジュメに羅列されていた単語にまんまと惑わされ
勝手に心配していたことは
全くもって杞憂であったことを思い知りました。
こんなこと本当は書かなくてもいいのだろうけれども
書かないのが、身の保全、世渡り的には普通なのでしょうけれども
皆さま気になっているポイントラインだと思ったので
あえてこの件、書いてみました。
さてさて、「月刊久保有政」の今回のテーマは
「古代日本とユダヤ ~ユダヤ人渡来説~」。
古代日本とユダヤについてだと
「契約の箱」について気になりますよね。
参加者の方からも
「日本にあるのですか?」
というご質問がありました。
そのことに関して
久保先生が
「物自体は日本にないだろうけれども
その記憶はあり、それに基づいて作っているのでは」
というような素敵な返答を。
「物」が本物か否かっていうの
大切なのかもしれないけれども
もっと大切なもの、重要なこと
受け継がれるべきことって
「記憶」なんじゃないのかなって思います。
「物」は「物」でしかなくて
それは私たちの何かしらの思いなどを形にしただけのもの。
「物」に何かがあるのではない。
のじゃないのかなあって
久保先生のお話を聞きながら思っていました。
久保先生がどんなことをお話になられたのかは
後日、今回のみ特別に全編アップいたしますので
楽しみにしていてくださいね~
■月刊久保有政
http://mugenju.com/event/?id=3473
「公開収録」を終えたあとは
「月刊久保有政」会員の方のみ参加可能の
久保先生を交えての懇親会。
「公開収録」のときもQ&Aの時間を設けているのですが
やはり懇親会のときのほうが
本当に聞きたいことを聞けますよね。
この席でも先生におひとりずつ質問していきました。
聖書と神道、ユダヤのつながりは
講義の中でお話してくださっていたのですが
そこに仏教がどう絡み
先生がどう見ているのか、考えているのか知りたくて
わたしもちゃっかり質問しちゃいました。
そんなこんなであっという間の数時間。
「公開収録」および「懇親会」を終えたあとは
今後の「月刊久保有政」についての打ち合わせと
久保先生とやりたいこと
やっぱり出てきちゃったので
そのことについてもお願いを(笑)。
これからの久保先生×夢源樹の絡み
楽しみにしていてくださいね~☆