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北芝健 (きたしばけん)

知性と人間味が溢れる、元警視庁私服捜査官

「ヤクザ(暴力団)」という名称は、一般良民には、ある種の気味悪さから畏怖の対象となっています。おどろおどろしいその呼称は、日常からかけ離れた集団という感さえあります。警察という社会的反作用の存在からすれば、それは「反社会的」であり、「犯罪という有責違法の行為」を反復継続して成している集団ということになります。

しかし、暴力団の側から彼らの主張を聞けば、「歴史や社会の歪みで生み出された、いわば世間の冷酷さがそうさせた存在」であると言います。理は確かに双方にあり。有史以来、暴力団と警察は、その意味する存在が絶えたことはなく、そしてこれからもないだろうと社会病理学的に言えるのです。

出自は異なれ、ヤクザ社会に棲息することで、この世の員数の一人として在り続ける現実に変わりはないため、そこには必然のように、その世界独自の戒律や、脈々と受け継がれてきた精神文化があることは否定できません。ヤクザが自らを律し、その精神文化を体現しようとしたときに、「任侠」という行動様式と「義理」たるオブリゲーションが生まれ、それが一種の「がまん哲学」や「アウトロー美学」という形容で語られる情緒も見ることができます。

反面、近年の暴力団は、その「アウトロー美学」を自己正当化の言い訳に使い、また「がまん哲学」など考えたくもない、そんなギャング性を強めている人口も目だってきました。
「カネ」と「チカラ」が、この21世紀の地球を支配していますが、この日本の、そして「和のアウトロー」をもって任じている暴力団もまた「カネ」と「チカラ」の威力、魅力、魔力に抗うことはできないのが現実です。

そこで、任侠世界において、カネとチカラがどのように生まれ、どのように作用しているかを研究してみました。現在、私は学校で犯罪学と国際関係論を講義している教員でもあるのですが、現役雌伏捜査員時代の経験や教員になる前に学んだ犯罪社会学を通して、「暴力団とはいったい何か」を考察してみました。

北芝健(2012年2月1日 「誰も知らない暴力団の経営学」まえがき より )

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