久保有政 (くぼありまさ)
聖書≠キリスト教。鋭い視点で聖書から世界のすべてを読み解く個性派聖書研究家
知れば知るほど、これほど紹介するのが難しい先生はいない。
けれどこれほど「オトナの知的好奇心」にあふれた先生もいないのではないかと思う。
語学・数学・科学・歴史・経済学・宗教学はては文化・芸術の分野まで、
あまりにも研究と興味・交際の範囲が広い、広すぎる!
「久保先生が夢枕に立って…」とセミナーに来られたお客様がいたけれど、
あながち冗談ではなく、知れば知るほどに「久保有政」という存在自体が、
聖書に導かれたオカルト(神秘・超自然的なもの)のようにも感じることがある。
聖書研究へのルーツについてご本人談によれば、
高校生のときに聖書に出会って「これだ!この道でいく」と思ったのだそう。
これ、もう、啓示じゃないか。
そこから何十年、ブレずに聖書と向き合ってきてみたら、
あれよあれよという間に研究範囲も交際範囲も拡がって、
宗教も宗派も国境も分野もかるーく乗り越えて。
先日は某国のテレビ局に呼ばれて「日本とユダヤ」について語ってきたという氏。
執筆や講演について「海外からもオファーされるようになったきっかけは?」と伺ったところ、
「ウィキペディアで日本の自虐史について書かれていることが正しくない!と反論したら、
国内じゃなくて海外から反応があって」と静かに笑っていて。
ウィキに本気で反論したんだ…想像を超えるオタクっぷり…いや、信念!
そしてそれが、世界に活躍の場を広げるきっかけになったとは…まさに天の采配。
「オカルト」が霊妙で深遠な必然が引き起こすすべてとするならば。
この世に存在するすべてが「オカルト」で。
世界で一番有名で、すべての国に類似する物語をもつ、 この世を紐解く暗号読本、
それが「聖書」だとするならば。
その「聖書」に導かれ情熱と信念を傾けてきた男が語る「聖書」の話を聞かない手はない。
あなたにしかわからない「聖書からの啓示」をさぐること、
まさに「オトナの知的好奇心追求」ではないだろうか。
代表的な著作
神に愛された国・日本
日本人に生まれて良かった! 命をかけてでも守りたい「日本」という国があった! 日本の本当の近現代史は、輝かしい良い出来事で満ちている。そこには人種平等を世界に実現した日本、アジアに近代化の支援を行ない続けた日本、共生と共栄を目指した多くの日本人の感動的な姿があった。日本は神の愛を受け、特別な役割を果たしてきた国である。
(目次より)
慈愛のキャッチボール
祖国を救った人々
武士道とキリスト教
清き明き心
死者を弔う心
真実に立つ勇気
自己犠牲の精神
捨て石となった人々
共生の教え
愛と誠
生命の仲間意識
利他的生き方
神に愛された日本
ごめんなさいの心
共栄の教え
amazonより引用
日本書紀と日本語のユダヤ起源
日本は過去は全く謎に包まれている。日本人がいつ日本列島にやって来たのか、誰も知らない。そして今までの歴史的研究も、言語の研究も、また考古学的探求も、彼らの過去の謎を解き明かしてはいない。本書は、彼らの起源を全く新しい角度から探ろうとする試みである。
日本人の起源に関する私の研究は、じつは思いがけないことから始まった。
はじめ私は、いわゆる「イスラエルの失われた十部族」に関する証拠を集めようと、努力を積み重ねていた。彼らは紀元前七二一年に捕囚の身となり、アッシリア帝国に連れ去られた人々である。じつはそれと時期をほぼ同じくして、今日「日本」と呼ばれる国に古代日本人が住むようになった。
それを知ったとき、私の疑問は、「両者には果たして何か関係があるのか」であった。すなわち、中東から来た「イスラエルの十部族」の捕囚民と、極東の日本における大和民族の出現の関係である。
実際、そこには関係があった。日本古代の伝統、宗教的儀式、歴史的な名前、俳句、また日本語に含まれるヘブル(ヘブライ)語起源の言葉、かな(ひらがな、カタカナ)、また日本の民謡までもが、すべて、「古代サマリア王国」(北王国イスラエル)と「スメラ王国」(日本)との間の強いつながりを示していたのである。
私の知る限りでは、本書は日本人の起源についてこれまで知られなかった事柄を明るみに出し、一つの結論を導き出した最初の書物である。
amazonより引用